左官工事業 | 人の暮らしは衣・食・住、三つの要素で成り立っている。この三大要素のうち「住」の部分、
すなわち建築を受け持つのが「左官」の仕事だ。とくにその仕上げ部分、人間でいえば、顔や衣装にあたるもっとも人目につきやすい部分が「壁」
工事である。これを施工する左官塗壁工事は、建築全体の評価を左右する重要な仕事であった。 古来「日本の壁」については、長い歴史を持ちながらも、仕上げ工事の宿命として慶弔など事ある度に塗り替えられてきた。そのために古い時代の 作品も少なく、学問的研究も近年まではほとんど手つかず、明治以降のわずかな著書、文献があるのみである。 塗壁については、わが国に古代法制が初めて定められた飛鳥時代(西暦604)の文献に「土工・白土師・石灰工」とあるが、それが塗壁師の始まりと 考えられる。もともと塗壁仕事とは寺院建築とともに栄えてきたものである。 初期の左官作品は、聖徳太子が建立した四天王寺(大阪府・593)や法隆寺金堂(奈良県・607)の仏画を描く下地としての白壁、さらに白土を塗った 岩壁に描かれた仏画で有名な高松塚古墳(奈良県)などがある。しかし、当時はまだ「左官」という名称はなく「土工」と呼ばれていた。その「土工」 という職名も律令体制の崩壊に先立って消滅し、かわって「壁塗」「壁工」などの名称が現れ、中世を通じてこれらが左官工事担当者の一般的な名称 とされてきた。このような中世の名称もやがて、「左官」という用語の登場によって次第に消滅していった。 |
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